手に入らないものはない。
それでも、なぜ満たされないのか。
最高の療法も、医療も、旅も、親密さも、ウェルネスも、精神の探求も、すべて試した。人生は、美しく機能している。それでも、最も肝心なものだけが、いまも欠けたままだ。
贅沢は、あらゆる摩擦を取り除く。けれど、生きているという実感までは、取り戻してくれない。Forbidden Yogaは、富で整えられるもののすべてが尽きたところから始まる。
取り戻すべきは、自分自身の人生だ。
Forbidden Yogaが受けるのは、年にただ一件の私的なコミッション。生きた左道シャークタ・タントラの伝承を継ぐマイケル・ウォゲンブルグが、数十年に及ぶクンダリーニの実践をもとに、ひとりのクライアント、あるいは夫婦のためだけに、それを組み上げる。この仕事は、感嘆させるためのものではない。特権をもってしても届かなかったものへ、まっすぐに触れるためのものだ。
富は、すべてを手に入れた。
その代償が、生きている実感だった。
ここで出会う女性たちは、飾りではない。彼女たちこそが、実践そのものだ。
この先のページに現れる女性たちは、この伝承のなかで鍛え上げられている。媚びず、屈せず、演じず、君の力の前でも崩れることのない女性性。その存在をその身に宿すことこそ、彼女たちの務めだ。マイケルが君のためだけに整えたその場で、彼女たちとともに鍛錬を重ねていく。
そのエネルギーを、学ぶのではない。そのなかへ、入っていく。目的は、感覚を取り戻し、満たされなさの奥にある構造をあらわにし、愛し、導き、求め、生きる、その在り方そのものを、根本から組み替えることにある。
まず、女性性から。
まず、女性性が力を得る。そのとき初めて、男性性は癒えていく。
Forbidden Yogaは、シャークタの伝統が始まるその場所から始まる。シャクティから。女性においては、その実践が、主権を、性の叡智を、拒む力を、怒りを、そして創造の力を取り戻す。男性においては、抑えのきかないその女性性と出会うことで、鎧は無用となり、真実は避けようのないものになる。
ここで、カーリーが生まれる。美しく機能するように築かれながら、ほとんど何も感じずにいる人生を、断ち切るその力が。
ここで、カーリーが生まれる。
贅沢の先で、人生をどう取り戻すのか。
マイケルが引き受けるのは、年にただ一件のみ。数か月に及ぶ準備、ひとりのクライアント、あるいは夫婦、厳選された少数のチーム、世界のどこであれ人目に触れることのない場、そして完全な秘匿。予約できるプログラムなど、どこにもない。コミッションが設計されるのは、その人生が見えなくしてしまったものを、マイケルが理解したそのあとだ。
価格の下限は、意図して高く設けてある。支払う力が、対話の扉を開く。そして、変えられることへの覚悟が、その先へ進めるかどうかを決める。
人生以外のすべてが機能しているのなら、どうぞ、中へ。
この扉の向こうにあるのは、ただ一件の私的なコミッションが築き上げられる、その女性たち、実践、そして場所だ。
Enter Forbidden Yoga